ついに長野県への移住が決定! うつ夫とビビリ犬とともに、『移住&二拠点生活』スタート!

【うつ夫の話①】うつで無職の引きこもり、それが私の夫です

  • 2022年4月30日
  • 2022年8月14日
  • うつ夫

突然ですが、はじめまして!アズサです。
浅間のふもとの『山の家』での二拠点生活歴17年。

ついに長野県への移住が実現!
『移住&二拠点生活』のノウハウを発信します。
ビビリ犬の“鴨”(犬の名前)も登場
するかも!?

この記事では、夫のことをご紹介します。

このブログは、『貧乏でも豊かな二拠点生活ができる!』という方法をご紹介するブログなのですが…

そもそも我が家が貧乏になったいきさつを少しご説明。

もし、あなたの大切な家族やパートナーが、心の病で辛い思いをしているなら、似て非なる他人の事情を、少し覗いて行ってくださいな。

  

夫は自称、発達障害で愛着障害

夫の自画像(お気に入りのセーター編)

うちの夫は、うつで無職のアラフィフ

で、いわゆる引きこもり

たぶん発達障害と愛着障害の併発で、コミュニケーション障害(コミュ障)になってしまい、人生こじらせちゃった人。

出だしからヘビーですかね。

別に夫だって最初からうつだったわけでも、無職だったわけでもないのです。

話し始めれば、40年以上分のこじらせた原因があるのです。

つまり私には、
『発達障害と愛着障害をこじらせてコミュ障になり、無職の引きこもりになり、うつになった夫』
を支えてきた経験がある!

それらを、うつのパートナーを抱えてしんどい思いをしてる人に伝えられればいいな、少しでも何かの役に立てればいいな、と思うのです。

夫の子どもの頃

夫の子どもの頃について簡単に紹介します。

生まれと育ちは北関東のある都市。

夫の父親(義父)は教育委員会の教育長、つまり夫が幼い頃に通っていた学校の先生方にとって、一番偉い人

もうこれだけで夫は、先生方にとっては他の子どもたちとは違う訳です。

扱いづらいのです。

夫の母親(義母)は保健師でしたが、お茶とお花の先生でもあったようで、お弟子さんもいたとか。

実家は盛り土をした上に建てられた一軒家で、中庭があったり、防音室があったり、お茶室があったりと、こだわりの造り。

しかも、夫の幼い頃には家に家政婦がいたようで。

おぼっちゃまか!!

そうなんです
おぼっちゃまなんです

でも、もちろん、そんな素敵な話では済まないのです。

義父は遅い結婚だったせいで、かなり高齢。

むしろ祖父です、みたいな年齢。

義母の方は再婚で、3人の娘連れ。

ただ、実際に再婚した時に連れてきたのは末娘1人で、上の2人の娘は実家に置いてきた。

夫が生まれ、両親と、父親の違う姉と4人暮らし。

離れて暮らす、父親の違う姉が2人。

これだけ聞いても、こじれそうな匂いがプンプン…。

ぼくの愛着障害の土台、これにて完成…かと

義母の3人の娘は、姉妹バラバラ、家族バラバラ、きっと傷ついたり淋しい思いもしたでしょう。

その後、クリスチャンになります。

間もなくして義母を誘い、義母もクリスチャンに。

義母は義父を誘いますが…

どちらかというとご先祖様々で仏教よりな義父は、入信せず。

そこから、義父と義母のケンカが絶えなくなったようです。

夫にとっては、両親の言い争いが日常茶飯事。

しばらくして、姉も勘当同然に家から出て独立。

こうしてぼくの愛着障害は、立派な土台の上に、頑丈な基礎が形成されたわけです

書いてるだけで憂鬱になる内容ですね…

ブランクだらけの履歴書

夫の自画像(ベーグルを食べる編)

中学まで成績優秀だった夫。

部活でも活躍し、文武両道でした。

高校あたりから陰りが見え始め…地元の進学校を卒業後、

大学へ行く理由が分からない

という理由で、大学進学までに数年を要します。

(履歴書のブランク1つ目)

大学って、「なぜ行くか」ではなく、「どこなら入れるか」みたいな基準で選ぶと思い込んでいた私にとって、

なんだ、この面倒くさい男は…

と思いました。

大学卒業も、時は就職超氷河期。

定職に就かずに数年を過ごします。

(履歴書のブランク2つ目)

その間に短期留学をし、英検1級を取得し、地元に戻って某有名英会話学校の講師に就職。

(この頃に私と出会っています)

そこも数年で辞めます。

(履歴書のブランク3つ目)

夫は英会話講師を辞めたのは、映像翻訳の勉強をする為でした。

しかし、映像翻訳の世界(映画の字幕とかね)で食べていける人なんて、ほんのひとにぎり。

しばらくして諦め、地元の小さな会社に就職します。

でもプライドも劣等感も強くて自己肯定感は低い、というコンガラガッタ夫は、現状に納得できず、再度転職を試みます。

ただ、穴だらけの履歴書では良い転職先など見つかりません。

で、これまでの経歴を上書きできると考え、仕事を辞めてW大学の大学院(ビジネススクール)に入学します。

この時、既に彼は30代半ばでした。

  

W大学の大学院を出ても“コミュ障”に

結局、W大学大学院を首席で卒業(!)してMBA(経営管理修士)を取得、その後、都内の会社に就職しました。

ついに、都内へ通勤する生活。

都会の職場は、田舎とは違ったようです。

いや、別に都会か田舎かの問題ではないのでしょうが、夫は人間関係をうまく作れませんでした

強い劣等感も自己肯定感の低さも、MBAを取得しただけでは底上げできなかったようで…

でも、やけに高いプライドは、彼をコミュ障にするのには十分でした。

職場では人間関係が上手くいかず、社内で評価されず…

孤立し、居場所を失い…

吐きながら職場へ向かう日もあり…

しんどくて職場まで行けずに引き返す日もあり…

「辞めていいよ」と、声を掛け続け…

辞表をお守り代わりにカバンに入れて、何とか通勤し…

それでも状況は改善せず、「自分が潰れてしまう前に辞めよう」と、辞表を出す…

このパターンを、なんと2社繰り返しました。

職場が変われば人間関係も変わり、うまくいくかもしれない。

そんな淡い期待は環境が変わっても叶わず、

これは職場のせいじゃなくて、自分に問題があるのだな…

と、思わざるを得ませんでした。

新たなブランク現在進行中

こうして、もはやいくつ目か分からない履歴書のブランクを現在進行中。

毎日、昼寝三昧。

自由時間しかない毎日。

かといって、楽しそうに自由を謳歌する訳でもなく。

私の代わりに炊事をするわけでもなく。

食事の時間になっても起きられず、なんてことも。

時はコロナ禍。

再就職どころではなく、動こうにも動けない日々で、落ち込みが激しくなり…

ごめん、もう長くは持たないかもしれない…

そんなことを言い出すようになりました。

自殺願望に近いことをつぶやくことも少なくなかったです。

お願いだから、私が帰ってくるまで生きてて
帰ってきたら死んでた、っていうのだけはなしにして

そう、お願いする日々。

起きていることもままならない日々。

あなたがいてさえくれれば、私は頑張れるから
ここにいる事だけを頑張ってくれればいいから

そう、毎日伝え続けました。

なかなか状態は好転しないものの、私が仕事から帰ると、

今日も頑張って生きてたよ

そんな、一日一日を生きる事だけで精一杯な夫でした。

着替えや身支度もしなくなり、廃人一歩手前のような様子になってしまい、専門家への相談を模索することになります。

続きはまた近いうちに…